2008年8月30日土曜日

グーグルのストリートビュー

先日、グーグルマップにストリートビューという新しい機能が追加されました。

グーグルは、「世の中のありとあらゆる情報を整理して、人々が便利にそこにアクセスできるようにし、それによって人々の生活を豊かにする」という内容の社是を掲げていますが、その中の「地理情報」の整理をしているプロダクトがグーグルマップやアースになると思います。

ストリートビューに関して、例えば私はこんな風に使ったりしています。

「昔通っていた小学校にはその後何十年も行ってないけど、今頃どうなっているんだろう?」、「昔、両親がまだ若かった頃、自分が子供のころに一緒に住んでいた家の周りは今、どうなっているんだろう?」

まず、グーグルマップで昔の自宅の最寄り駅に行ってストリートビューをオープンします。「あ、駅の風景も随分変わってるなぁ、、、」そして、昔の、駅から家までの経路を思い出しながら、だんだん昔住んでいた家の方向に進んで行きます。「あ、あの神社はまだ昔のままの姿で残ってるんだ!」、、、、そして、だんだん昔住んでいた家が近づいてくると少しづつ胸が高鳴ってきます。そして、道の周囲の風景に、当時の自分自身の思いやその頃のことが急に思い出されたりしながら、甘酸っぱい気持ちが広がってきます。そして、いよいよ昔住んでいた家のところに来ました、、、そこは、昔とは一変した風景になっていて、まったく新しい家に建て変わっていたりでがっかり、、、でも、「あ、この八百屋はまだそのまま残っているんだ!」などと、一軒隣の八百屋の当時のたたずまいに感動したり、、、、

これが何だ?と思われるかもしれませんが、ストリートビューがもたらす一つの新しい形の感動体験がここには確実にあるような気がしています。グーグルが目指しているのは、たとえばそういう世界だと思います。

しかし、どんなテクノロジーやイノベーションにも、必ず陽の部分と陰の部分があります。

グーグルは、ストリートビューを出すにあたって、人様のプライバシーを侵害したり、気味の悪い思いをさせるということを意図しているわけではもちろんないと思いますが、ストリートビューが出てから、世の中では、「プライバシー」や「防犯」などの観点から、やり過ぎ、という声も多く上がっているようです。これがこのイノベーションの「陰」「負」の部分ですね。撮影はすべて公道から行っていて、私有地には一切立ち入っていないので、誰でもその土地に行けば目にする風景を撮影しています(カメラの高さ等の指摘も見受けられますが)。しかし、それがネット上に公開されることに伴うさまざまなアレルギーや反響に関してはグーグルは謙虚に受け止めて対応して行かねばなりません。

いろんな見方があると思いますが、一つの見方として、グーグルは新しいインフラや道具を提供する会社だと思います。インフラや道具というものは新しい時代に合わせてどんどん変わって行くものだし、そうでなければならないと思います。今回、ストリートビューまで含めたグーグルマップを新しい世の中のインフラや道具と捉えられるかどうかは意見が分かれるところだと思いますが、インフラや道具には提供する側と、利用する側が居て、提供する側に一切の悪意がなくても、利用する側が悪意のある使い方をしてしまえばそこには提供した側の責任もあると思います。ただ、ここは非常に微妙なところでもあり、ナイフを使った殺人事件が起きたときに、ナイフを作って売った人にも責任があるか?という議論に少し似ています。ナイフが果物ナイフならば作って売った側には責任はないが、ダガーナイフだと作って売った側にも一定の責任がある、というような昨今の議論と似ています。この例で言えば、グーグルはあくまでも果物ナイフを作っている立場ですが、それを別の目的で使われてしまう場合にはそれを阻止する有効な手段は難しい、、、

梅田さんの「ウェブ進化論」にもありましたが、グーグルはテクノロジーのオプティミズムを立脚点にしている会社だと思いますが、テクノロジーのペシミズムに対する議論にも常に真摯に向き合っていく宿命を背負った会社だと思います。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

大変ご無沙汰です。お元気ですか。
ストリートビューで海外の家族・親戚の住む場所を見れるのは、かなり興奮ものです。初めて行く場所も確認できたりして、素晴らしくて、感動しました。
なぜ日本はプライバシーとか、うしろ向きな議論ばっかり盛り上がるでしょう。大体プライバシーを盾に使って既得権を守ろうとすることは多いですけどね。見られて不都合の事をしなければ言いだけの話です。(P)
前向きに考える習慣をつけないと、世界に取り残されます。