2010年1月30日土曜日

健康であるということ

健康には人一倍自信もあり、これまで、病気らしい病気はしたことがないし、普段、風邪をひくこともほとんどないのだが、今回、1月18日から入院生活を余儀なくされている。突然、重篤な腸閉塞となり、緊急の手術を受けたのだ。その日の朝から、これまで経験したことがないようなタイプの腹痛があり、いずれおさまるだろうと高をくくっている間に、痛みはさらにひどくなり、吐き気が出て来た。その為、近くのクリニックに行ったら、腸が動いていない、腸閉塞の可能性が高い、ということで、すぐに総合病院に照会された。直ちにレントゲンやCTで腹部を診察した結果、至急、開腹手術を受けた方がいいと診断された。結局、内ヘルニアという症状で小腸の一部がちょうど首を絞められるように圧迫されて風船のように腫れあがって鬱血し、深刻な腸閉塞を起こしていた。小腸を解放する為の処置が施されたが、幸いに医者の判断が的確、かつ対応が迅速だったために、小腸が致命的なダメージを被る前に救済することが出来、小腸の切除は免れた。まさに、間一髪の状態だったそうだ。

あらためて、身を以って認識したが、人間は一本の長い管。そのどこかが詰まってしまうと、生命は直ちに危機にさらされるのだ。

術後の回復は非常に順調で、来週中には退院の予定。予期せぬ事態ではあったが、あらためて健康であることのありがたみをつくづく再認識させられた。

2009年10月17日土曜日

千葉敦子さん

ちょっと前にtwitterの一部で千葉敦子さんネタが盛り上がっていた。言うまでもなく、彼女は乳癌の再発で若くして亡くなったすぐれたジャーナリストで、その壮絶な人生は彼女の多くの著書に生々しい。私が彼女の存在を初めて知ったのは、「ちょっとおかしいぞ,日本人」(1988、新潮文庫)が最初だった。ちょうど、以前に居た会社に入社した直後、会社派遣で米国の大学に留学するプログラムがあり、それに挑戦して渡米の準備をしていた頃だったと思う。当時、彼女の視点に大いに共感を覚え、それ以来彼女のファンとなった。どの著作だったか覚えていないのだが、彼女の本の中に、さまざまな切り口で人を2つのグループに分けて論じたエッセイがあった。その中に、「忙しい人と忙しくない人」というのがあって、たとえば、「忙しくない人は忙しい人に人生相談をする、人生相談をされた忙しい人は、忙しい時間の中からその人の為に時間を割いて真剣にアドバイスをする、でも結局忙しくない人はその忙しい人の真剣なアドバイスを聞いても行動に移すようなことはしない」というようなのがあった。あるいは「持って生まれたエネルギーのレベルの高い人と低い人」というのもあって、「人には何をやってもまったく疲れない人と、何をやってもすぐに疲れる人がいる、エネルギーのレベルの高さ低さは生まれつきのものであって、高いエネルギーレベルで生まれて来た人は、もう親にひたすら感謝すべきだ、、、」というようなのもあった。その後、彼女の本を読み直す機会はないが、生前に彼女が残した多くの言葉や記録は、確実にどこか自分でも気が付かないところでの生きるヒントになっているとあらためて感じる。

2009年9月22日火曜日

シルバーウィーク

高速道路が安くなった影響で、休みとなるとどこもかしこもすさまじい渋滞の様子。政権も変わったことだし、新生国土交通省としては、最新技術を屈指して次世代の輸送システムについて本気で考え始めて欲しい。一般道の信号機も安全を優先して交通の流れを遮断するという考えから、安全とエネルギー効率を両立させて交通の流れを出来るだけスムーズにする発想で、道路網を俯瞰した視点で、連続する複数の信号機の動作を、その時点での交通量とリアルタイムに連携するように改善して欲しい。未だに、連続する信号機がまったく同期していない個所が多い。信号機の設置についても、むやみやたらに付ければいいというものではない。設置基準についても安全面と交通の流れの制御という面を優先すべきであり、業者の利権を優先させることなどが無いようお願いしたい。

ところで、日本は他国と比べると所謂国民の休日(national holidays)が多いように思う。グローバルに仕事をしていると、日本だけが非同期に休日になる週は、日本以外は通常業務をしているという点では、心から休日を楽しむ、ということには残念ながらなかなかならない。インターネットの時代にはonとoffの概念やその配分についてもスタイルがまったく変わってきていると改めて思う。

2009年9月21日月曜日

復帰

このブログは匿名のままですが、一部のソーシャルサイトでリンクを紹介していることもあって、だんだん身元が知られ始めた様子(笑)。ずいぶんと長く更新していませんでしたが、またアクティベートすることにします。

2008年10月4日土曜日

屋久島

Penguin Clubに投稿した屋久島に関して、その後も再度訪れたいと常に思っているが、先日、ニュースで、観光客が増え過ぎて世界遺産が危機的状況に瀕している、と報道されていた。モラルやトイレの問題が深刻なようだ。ガイドの一人は、このままでは屋久島の自然を後世に残していくことは難しい、と悲観的なコメントをしていた。

ハワイのハナウマ・ベイがやはり観光客が増え過ぎて水が濁り、魚が居なくなってしまう、という問題を一時抱えて、しばらく州によって閉鎖になった時期があった。現在は、有料で入れるようになっているが、初めての来訪者は、湾に降りて行く前に、自然保護のビデオを強制的に観賞しなければならないプロセスになっている。また、ここで徴収した資金を原資として、ハナウマ・ベイの浄化や環境保全に取り組んでいるようだ。

皆で力を合わせて、屋久島を守らなければならない。「屋久島 自然保護」などで検索してみると、いろいろと助成するルートはありそうだ。

2008年8月30日土曜日

グーグルのストリートビュー

先日、グーグルマップにストリートビューという新しい機能が追加されました。

グーグルは、「世の中のありとあらゆる情報を整理して、人々が便利にそこにアクセスできるようにし、それによって人々の生活を豊かにする」という内容の社是を掲げていますが、その中の「地理情報」の整理をしているプロダクトがグーグルマップやアースになると思います。

ストリートビューに関して、例えば私はこんな風に使ったりしています。

「昔通っていた小学校にはその後何十年も行ってないけど、今頃どうなっているんだろう?」、「昔、両親がまだ若かった頃、自分が子供のころに一緒に住んでいた家の周りは今、どうなっているんだろう?」

まず、グーグルマップで昔の自宅の最寄り駅に行ってストリートビューをオープンします。「あ、駅の風景も随分変わってるなぁ、、、」そして、昔の、駅から家までの経路を思い出しながら、だんだん昔住んでいた家の方向に進んで行きます。「あ、あの神社はまだ昔のままの姿で残ってるんだ!」、、、、そして、だんだん昔住んでいた家が近づいてくると少しづつ胸が高鳴ってきます。そして、道の周囲の風景に、当時の自分自身の思いやその頃のことが急に思い出されたりしながら、甘酸っぱい気持ちが広がってきます。そして、いよいよ昔住んでいた家のところに来ました、、、そこは、昔とは一変した風景になっていて、まったく新しい家に建て変わっていたりでがっかり、、、でも、「あ、この八百屋はまだそのまま残っているんだ!」などと、一軒隣の八百屋の当時のたたずまいに感動したり、、、、

これが何だ?と思われるかもしれませんが、ストリートビューがもたらす一つの新しい形の感動体験がここには確実にあるような気がしています。グーグルが目指しているのは、たとえばそういう世界だと思います。

しかし、どんなテクノロジーやイノベーションにも、必ず陽の部分と陰の部分があります。

グーグルは、ストリートビューを出すにあたって、人様のプライバシーを侵害したり、気味の悪い思いをさせるということを意図しているわけではもちろんないと思いますが、ストリートビューが出てから、世の中では、「プライバシー」や「防犯」などの観点から、やり過ぎ、という声も多く上がっているようです。これがこのイノベーションの「陰」「負」の部分ですね。撮影はすべて公道から行っていて、私有地には一切立ち入っていないので、誰でもその土地に行けば目にする風景を撮影しています(カメラの高さ等の指摘も見受けられますが)。しかし、それがネット上に公開されることに伴うさまざまなアレルギーや反響に関してはグーグルは謙虚に受け止めて対応して行かねばなりません。

いろんな見方があると思いますが、一つの見方として、グーグルは新しいインフラや道具を提供する会社だと思います。インフラや道具というものは新しい時代に合わせてどんどん変わって行くものだし、そうでなければならないと思います。今回、ストリートビューまで含めたグーグルマップを新しい世の中のインフラや道具と捉えられるかどうかは意見が分かれるところだと思いますが、インフラや道具には提供する側と、利用する側が居て、提供する側に一切の悪意がなくても、利用する側が悪意のある使い方をしてしまえばそこには提供した側の責任もあると思います。ただ、ここは非常に微妙なところでもあり、ナイフを使った殺人事件が起きたときに、ナイフを作って売った人にも責任があるか?という議論に少し似ています。ナイフが果物ナイフならば作って売った側には責任はないが、ダガーナイフだと作って売った側にも一定の責任がある、というような昨今の議論と似ています。この例で言えば、グーグルはあくまでも果物ナイフを作っている立場ですが、それを別の目的で使われてしまう場合にはそれを阻止する有効な手段は難しい、、、

梅田さんの「ウェブ進化論」にもありましたが、グーグルはテクノロジーのオプティミズムを立脚点にしている会社だと思いますが、テクノロジーのペシミズムに対する議論にも常に真摯に向き合っていく宿命を背負った会社だと思います。

2008年8月24日日曜日

夏休み

随分長いこと投稿をさぼってしまいました。先週一週間夏休みを取り明日から仕事に復帰です。子供が小さかった頃は毎年夏に休みを取って家族をハワイに連れて行くのが恒例行事で、それが仕事に明け暮れる自分の唯一の息抜き兼家族サービスだったのですが、子供もすっかり大きくなり、もはや家族旅行等に素直に付いてくる歳でもなくなってしまいました。子供が順調に成長して大きくなるのはもちろん無上の喜びですが、反面、一抹の寂しさも禁じ得ません。更に、来年は上の子が大学受験ということもあり、今夏は特に家族で旅行する計画も作らずに、北京オリンピックを見たり、ジムに行ったり、近場でゴルフをしたり、普段なかなか会えない人と会ったり、無計画にのんびり過ごしましたが、休みなどというものは本当にあっと言う間に終わってしまうものですね。明日からまた仕事中心の日常に戻るのがやや憂鬱(笑)。

2008年7月5日土曜日

訃報

先週、前の会社で一時期一緒に仕事をした仲間が亡くなったという悲しい知らせが舞い込んだ。ある新しい事業の立ち上げを一緒にやった仲間の一人であった。年初に膵臓の癌が見つかり、闘病の甲斐もなく亡くなったようだ。今でも彼の在りし日の姿はまぶたに焼き付いている。特に、事業立ち上げの初期の合宿で、彼と酒を酌み交わしながら事業の成功に向けた協力を誓い合った時のことは忘れられない。彼は営業側の担当であったが、その後、お互いにそれぞれのベストを尽くし、多くの困難を乗り越えて新規事業は無事に軌道に乗った。彼の協力無しでは事業の成功はあり得なかった。細身の身体の中に知力と馬力のみなぎった人で、タバコをくゆらしながら癖のある独特のトーンでの彼の語り口が今も耳元に甦る。あまりにも早過ぎる彼の死を心から悼む。

膵臓癌で思い出すのは、やはり前の会社で若かりし頃の上司が同じく膵臓癌で発見後短期間で亡くなった時のことだ。享年49歳であった。大変に頭のいい人で、その後も健在であれば少なくともその会社の技術系トップのポジションには上り詰める器量の人であった。努力とこだわりの人でもあり、生き様として彼から教わったことは数知れない。当時、ある難しい会議で、私が多勢に無勢で苦戦していた時、フラッと前触れも無く一人で会議室に入ってきて、その場の雰囲気を変えてくれたり、別の案件で理不尽な攻撃を受けた時に、状況を瞬時に理解してこちらの立場で相手の部署に抗議に出向いてくれたり、常に頼りになる上司であった。海外出張先で彼の訃報を聞いた時、一緒にいた同僚は突っ伏して号泣した。

在りし日の彼等の姿を思い浮かべ、彼等と出会えたことに改めて感謝の気持ちを捧げると共に、心からご冥福をお祈りする。

2008年6月7日土曜日

脱帽です

いやー、素晴らしかったです。感動しました。立ち直れないなんて、失礼しました。最後の最後までひやひやしましたが、ひとりひとりが昔に比べると格段に精神的な強味を増した印象です。おめでとうございます!北京での活躍を引き続き応援します。

2008年6月1日日曜日

悪夢

北京出場を賭けた男子バレー緒戦のイタリア戦はまさに悪夢でしたね。24対17で、7点も差がついた中で後1点が取れないなんて、バレーボールという基本的には実力が伯仲したチーム同士では点を交互に取り合いながら連取を重ねた数だけ有利になるというゲームの特性から、あんな常識では考えられない逆転劇が、現実に起きたこと自体に驚愕しました。恐ろしいものです。気の緩みがもたらした悲劇として、これは、我々にとっても教訓になる現実かもしれませんね。残りの試合、是非気を取り直して頑張って欲しいけど、このチームはそう簡単には立ち直れないのではないでしょうか?(写真は時事通信社の物を無断借用)

2008年5月29日木曜日

この世の全部を敵に回して

昔、Penguin Clubで紹介した小説家の白石一文さんが、先日、最新作「この世の全部を敵に回して」を送って下さったので、先週末、一気に読んだ。彼のメモに、「今度の作品は、なかなか理解に苦しむものかもしれません。評判も決してよくないようなのですが、僕としては渾身の一作です。どうか、一度とはいわず二度、三度読んでいただければと思っています。作者の真意が読み重ねるたびに伝わってくるのではないかと自負しています。」とあったので覚悟して読んだ。「人は何故生まれ何故生きるのか」をテーマに数多くの名作を生み出し続けてきた彼に取って、いつもとは異なる一風変わった作風で、確かに一度読んだだけではなかなか彼が言いたいことをすべて汲み取るのは難しいように思ったし、決して大勢の人の理解を簡単に得ることの出来る内容ではないと思ったが、いたるところに彼らしい感受性の豊かさと洞察の深さを感じる佳作だと思った。最近、本質的なテーマに逃げずに取り組む人が少なくなっているように感じるが、軽い携帯小説などが流行る時勢において、彼の存在は貴重であるし、少しずつでも彼の読者が増えていくことを願っている。

2008年5月20日火曜日

今日の言葉

以下、あるwebで見つけた言葉。

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『私がいるだけで、家庭が明るくなる。私がいるだけで、仕事場が活気づく。私がいるだけで、地上が平和になる。』 どんなときも、せっせとそう決めつけ、じっくリと、そう感じていてください。それを自分の心のクセにします。すると、意識がそれをつくリつづけます。自分が、いつも平和を感じつづけていると、意識が世界の平和をつくリつづけます。
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なるほど。実践してみよう。

2008年5月11日日曜日

理想の心

いい言葉をみつけた。

「今、祝福の意識を静かに感じてみる。
今までは、そのまんまでよかったんだ。
今は、このまんまでいいんだ。
これからも、いろいろあって、それでいいんだ。」

我々は自分の「心」というものを知っているようで何も知らない。以前に読んだ下記の本「心は病気」も面白かった。ついでに、これとついになっているもう一冊の方「怒らないこと」も並べておきます。

    

2008年5月6日火曜日

Source

親しくしている人からの紹介で、Mike McManusというアメリカ人の書いた「Source」という本(末尾参照)を読んだ。人がやっていてワクワクすることにこそ、その人の生きがいの源(Source)がある、というテーマで、日本語にも「好きこそ物の上手なれ」という諺があるが、自分がワクワクすると感じることのみを残らず全部やることこそが生き生きとした幸せな人生を送る上で極めて重要である、嫌なことややりたくないこと、会いたくない人に時間やエネルギーを使ってはいけない、ということが主題だ。言われてみると当たり前のことのようであるが、現実には、「好きなことや好きな人とだけで生きていける人生などない」、というのが常識的な社会通念であるとすれば、非常に逆説的な主張でもある。単純に言えば、いい学校を卒業し、収入のいい仕事について、欲しいものを何でも手に入れる、というような生き方が「幸せ」の基本のような物質主義中心の通念があるとすれば、その中で我々は、知らず知らず、幾多の「何々すべき」「何々してはならない」等という多くの世の中の教えにがんじがらめにされて育ってきた。「趣味と仕事は違う」「好きなことだけやってても食っていけない」「嫌な仕事に耐えてやり抜いてこそ人は育つ」等々の概念を押し付けられているうちに、人は次第に自分が本来心の底からワクワクするものを置き去りにし、自由な生き方のエネルギーを減衰させて行く、気が付くと、自分の好きなことよりも、周囲の評価や期待を軸としたストレスフルな借り物のような人生を生きる羽目になる、もっと、自分自身が自分の人生の主人公である本来の生き方を取り戻すべきだ、そしてその為には、子供の頃や若い頃、どんなことに寝食を忘れて熱中していたか、全部思い出してみよう、そしてそれをSourceとして人生を再構築しよう、と呼びかけている。そしてその考えを自ら実践すると同時に、セミナー等での啓蒙活動にも励み、多くの人が彼の教えによって生き方を変えた実例を紹介している。彼は言う、

「人が取るべき責任ある行動はだたひとつ。自分が心からしたいことをすることである。それが人生でもっとも責任ある行動であり、その人が負う最高の責任である」

現実に一歩踏み出すには勇気の必要な主張でもあるが、我々の人生を真剣に考える上での一つの考え方として大いに参考になる名著であると思った。2~3時間もあれば一読できる内容なので、ご興味のある方にはお薦めします。

2008年5月5日月曜日

後期高齢者医療制度

最近の日本政府は非常にだらしのない状態が続いているが、各種制度の見直しの前に、とどまるところを知らない税金の無駄遣いや一向に収束しない年金問題に決着を付けるまでは、新しい制度の導入は控えるべきだ。政府に対する根本的な不信感が蔓延している中で、このネーミングからしてお粗末な医療制度改革をぶち上げても、国民感情的には、高齢者に関わらず、素直に受け入れる心情にはなり得ない。制度の内容もさることながら、今回のこの「後期高齢者医療制度」については、タイミングもネーミングも通知のしかたも(当事者の住所と名前が黒枠で囲われた封筒で送付されると聞いた)、あまりにも無神経過ぎて、内容の議論以前の問題だ。一度撤回して、対象者に不手際を謝罪した上で、再検討して欲しい。日本の高齢者にも黙って受け入れたり我慢したりせずに、もっと怒り立ち上がって欲しいと思う。日本は一体いつから弱い者いじめばかりする国になったのだろうか?老人を敬い、大切にしない国は、早晩、滅びて行くのではないだろうか?

2008年5月4日日曜日

走る、ということ

2007年に東京マラソンでフルマラソンデビューしたのをきっかけに、その後も、時々走るようになった。忙しい時期にはなかなか走れないが、先週、GWに入ってからは、10km/hくらいののんびりしたペースで結構走った。体重を減らすことが目的の一つではあるが、走っていると無心になれるし、頭の切り替えにも有効で、いい気分転換になる。丁度20分程も走ると、横浜の港を一望に出来る場所に出れるので、だいたいいつもそのコースを走る。そこからベイブリッジや横浜港を行きかう船を見ていると飽きることがない。思い切り海の空気を吸い込みながら走っていると新鮮なチャレンジ精神が湧き上がってくるような気がする。今年は東京マラソンには抽選で外れてしまったが、来年はまた走りたいな、などと思いながら今日も走った。

2008年5月2日金曜日

祝!Penguin Club 2 開始

皆様、大変ご無沙汰しております。2006年から2007年に掛けて、Penguin Clubというタイトルで人生の転機に日々思うことをブログに綴っておりましたが、その後、しばらく中断しておりました。本日から、Penguin Club 2ということで、気持ちも新たに、あらためて日々の雑感を文章にして行こうと思い立ちました。ブログツールは、いろいろと使いにくい点もありますが、以前からGoogleのBloggerを使用しており、今回もBloggerにこだわることにしました。中断している間に、ブログやSNS環境もどんどん進化しており、携帯からのpostや動画の貼り付け等も格段に便利になっていますので、いろいろと試して行こうと思います。

それでは、本日はブログ再開のお知らせまで、ということで、あらためてよろしくお願い致します。